photo credit: Côte d'opale / french opal coast via photopin (license) |
東日本大震災から、まだ5年。そして、もう5年。
あの日、窓際の席に向かってマシンのチューニングをしていた。
一瞬、グラっと視界が右に激しくブレた。
地震だ。
階にいたメンバーを、ロッカーや高い棚のないフロアの中央に呼び寄せ床に座らせ(棚の下敷きとかシャレにならん)、ワタシはすぐにサーバールームへ。少々場所がずれてはいたが、電源もサーバーも無事だった。
(あまりのワタシのその時の平然ぶりを、会社で今だにからかわれるのだが)
すぐさま社長が各階の様子を見に来て、早々に退社命令が出た。
住んでいる各方面ごとにグループにされ、タクシーを用意されて帰宅した。
もちろん道は渋滞。平時なら車で1時間強の道のりを3時間以上かかったが、だいぶ恵まれた対応だったろう。ニュースでは夜を徹して帰宅する人たちがたくさんいた。
家の中もめちゃくちゃになってるのを覚悟していたのだが、豈図らんや。床に平積みにしてあった本の山が、少し崩れていただけだった。
よもやこの後向こう一ヶ月以上電車が動かず、自宅で仕事するはめになろうとは思っていなかった。
比較的正確な報道はNHKのネット報道のみ。ワタシは自宅でPCに向かい、NHKを流しっぱなしにしながら仕事する毎日となった。
近所のスーパーで食料が品薄になったこと。
なぜかトイレットペーパーや生理用ナプキンが綺麗サッパリ売り場からなくなって、店員さんとそのことでおしゃべりしたこと。
電気が十分でなくて、輪番停電で部屋が真っ暗になったこと。
放射能パニックが起きて、線量のこととか必死になって訂正したこと。
いろいろあった。
あの日から5年の間に、知人が台湾のかわいい子と結婚した。
台湾から日本への震災支援グループのメンバーで、知人とはFBで知り合ったそうだ。
震災が取り持った縁。子供も産まれた。
たくさんの人の人生が、あの時を境に変わってしまったけれども。
まだ解決がつかない問題が、山積みだけれども。
それでも、少しづつ前に進んで行けるのが人間だと思う。
黙祷。
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