とはいえ半分は技術書だ
Kindleが出てきていらい、重くてデカくて厚い技術書は、
気軽に持ち歩けるものとなった。
決して読みやすくなったとは言えないが。
しかし、明らかに電子と紙ではアタマの入り方がちがう。
最初は歳のせいか?(おいw と思っていたのだが、
電子書籍でもするする読めるものもあれば、ぜんぜん入っていかないものもある。
おかげで紙の本で買い直したものもあるくらいだ。
おかげで紙の本で買い直したものもあるくらいだ。
コンテンツとして差はないはずなのに、なぜ?
Psycho-pass で槙島聖護のセリフにこんなのがあった
「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」
「調子が悪いときに、本の内容が頭に入ってこないことがある。そういうときは、何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪いときでも、すらすらと内容が入ってくる本もある。なぜそうなるかを考える。――精神的な調律、チューニングみたいなものかな。調律する際、大事なのは紙に指で触れている感覚や、本をパラパラとめくったとき瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。」
同じ文字列でも、カラダの受け止め方が違うのかもしれない。
人間の記憶する機能は脳を中心に語られるが、カラダから得る情報も
脳の記憶と不可分のものではないのか?
マドレーヌの一切れをやわらかく溶かしておいた紅茶を口にしたとたん、脳の記憶と不可分のものではないのか?
コンブレーでの日曜日の朝を思い出したように。※1
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